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【ご報告】新卒入社した会社を退社してフリーランスになりました。

【ご報告】新卒入社した会社を退社して
フリーランスになりました。

【ご報告】新卒入社した会社を退社してフリーランスになりました。こんにちは、ENOKI(@enoki0520)です。

突然ですが、3月末でちょうど1年前に新卒入社した会社を辞めて、本日からフリーランスライターとして活動を始めます。

正直なところ、このタイミングでの退職はまったく想定していませんでしたが、外的要因や当時抱えていた悩みが相まって、この春からフリーランスとして活動することになりました。
今回は新卒SEとして働いた1年や、退職を決めた後のことに焦点を当てた話をしたいと思います。

労働環境には恵まれすぎていました

桜と川と橋
前勤務先の最寄駅から会社ビルに向かう途中の景色。

2017年4月にとある企業に新卒入社したあと、同期やグループ企業の新人とともに6月まで集合研修を受けました。
研修については割愛しますが、終わるころにははてなブログで1~2記事の執筆を開始しています。

就職した企業では二次請け以降がメインになるため、わたしも7月からは本社以外の現場で働くことに。
わたしが配属されたのは、いわゆる”ホワイト”で名高い企業の現場。
自社の新人教育担当の先輩社員に色々なことを教わりながら働いていました。

そこの労働環境は”ホワイト”そのものだったと思います。
わたしはその現場しか経験せずに退職したので他との比較ができませんが、先輩曰くプロジェクトリーダーが本当にこまめにメンバーの労働環境を気遣ってくれていたそうです。
仕事ができたとは言えないわたしでも残業は月平均3~4時間には収まっていたと思います。
プロジェクトリーダー本人もドラクエ発売日にドラクエ休暇取るくらいなので、わたしのような下っ端でも休暇取得はしやすかったです。
「SEはブラック」「下請けSEはやばい」など、よく聞くSEの労働環境の悪さが嘘みたいな環境でした。
人間関係も良好で仕事も楽しかったので、現場の人間関係を理由に辞めたいと思った事は一度もありません。

働きやすい現場だったからこそ悩んだ

働きやすい現場だったからこそ悩んだそんな素晴らしい環境で働く中で、秋ごろから悩み始めるようになりました。
「SEとして働く週40時間があれば、スポーツライターとしてどれだけのことができるだろう」
勤務時間はフルでSEの仕事、勤務時間外はライターとしての案件をこなしたり、海外スポーツの試合を見るなど、できる限りのことはしていました。
ですが、わたしが見ている競技は競技時間も長いため、インプットはできてもそれに対する研究や分析、アウトプットをする絶対的な時間が足りないと感じるようになったのです。

わたしがSEとして新卒就職した理由は、スポーツライターだけで生計を立てられないときのために、世界中のどこでも食べていけるスキルを身に着けるため。
つまりセーフティーネットのための就職であり、スポーツライターには(恐らく)ほとんど活きない就職なのです。
「セーフティーネットに週40時間割くなら、その分本当にやりたいことに割くべきじゃない?」
この考えがだんだん大きくなりました。

ただ、考えは大きくなっても踏ん切りがつかずにいました。
その理由は大きく2つあって、一つは前出の通り職場の環境がよすぎたこと。
わたしにとっての現場はいわゆる”コンフォートゾーン”で、新しい一歩を踏み出すためにコンフォートゾーンを抜ける勇気を持てずにいました。
もう一つは業務で7月まで継続予定の自分の案件を持たせてもらっていたこと。
せっかく新人ながら案件を持たせていただいていたし、プログラムのリリースまで自分で携わりたいと思っていました。
「本当にやりたいなら今すぐやめるべき」「リリースまで見届けて退職すれば、上流から下流までの業務経験はできる」など、毎日のように悩む日々が続きます。

2月に事態が急変。そのまま退職願を提出

2月に事態が急変。そのまま退職願を提出大きく流れが変わったのは、2月も下旬に入ったときでした。
7月からずっと働き続けた勤務先を3月末で撤退することを、先輩から知らされたのです。
先輩もわたしも現場にとても満足していて、お互いに7月まで続く案件を抱える中でしたが、会社都合ということでどうしようもできませんでした。

新しい勤務地の案件は、少なくとも1~2年の長期案件。
それは2019年の海外移住を検討しているわたしにとっては都合が悪く、勤務地は遠くなり、労働環境も今より良くなることはほぼ望めないため、勤務地の変更はデメリットしかありません。
「それならば」と思い、わたしはその場で先輩に辞意を伝えました。
散々悩みぬいた結果導いた答えの一つに、「今の現場を出るなら退職する」があったからです。

当時の労働環境よりいい環境で働ける可能性はほぼなく、残業が増えて今必死の思いで確保している本当にやりたいことのための時間さえ削らなくてはいけない。
これは一番避けるべきことで、それならいっそフリーランスとして歩を進めるべきという結論は自分の中で持っていました。

異動の話を聞いて辞意を先輩に伝えたのが月曜日、自社の事業部長と面談したのが木曜日、そして退職願を事業部長に提出したのがその週の金曜日。
いま振り返ってもこの1週間はジェットコースターのように目まぐるしく自分の立場が変わっていました。

退職について事前に直接話し合いをしたのは先輩と事業部長だけでしたが、留意されることはありませんでした。
わたしが配属されていた部署は海外事業もやっている部署で、それを理由に志望したことや将来的に海外駐在もしてみたいなど、海外志向を配属希望の時点でアピールしていたからです。
新人が「海外行きたいから辞めます」と言っても、元から海外志望を表明していたことで嘘っぽくならなかったと思っています。

退職願を出すまではめちゃくちゃ怖かった

退職願を出すまではめちゃくちゃ怖かったわたしの場合、退職願を出してからは肩の荷が下りてケロッとしていましたが、先輩に自分の意向を伝えてから退職願を提出するまではとても悩みました。

やはり”レールを外れる”ことに対する恐怖心が少なからずありました。
自分がやりたいことをやるためにはレールを外れる必要があることはわかっていても、一歩を踏み出すのは怖かったのです。
フリーランスになることや自分のやりたいことをやることへの抵抗はなくても、社会的な面で不安を抱えていました。
例えば、クレジットカードの審査が通りにくくなることや、フリーランス=フリーターと思っている人もいること。
また、社会人に戻る決意をしたとき、日本だと職歴のブランクが原因で採用される可能性がぐっと減ることも。

このとき感じていた恐怖心に似たものを、わたしは5年前にも体験していました。
それは、高校3年生の終わりの入試結果発表。
受験結果は軒並み不合格で、最後の結果発表を待っているときの心境です。
「これが不合格だったら、浪人するんだ。大学生になれないんだ」
それまで18歳で高校を卒業する一般的なレールの上を歩いてきたので、そのまま4月からは大学生になれるものだと思っていました。
そんなわたしにとって、大学生へのレールが敷かれていないことはとてつもない恐怖だったのを、今でもよく覚えています。
結局一浪しましたが、それによって何かデメリットを感じることはありませんでした。

月曜日の辞意を伝えた後から事業部長との面談後もずっと考えて迷っていたので、本来やるべきことも疎かになっていました。
自分の中で3月末の退職はほぼ既定路線で、あとは「誰かに背中を押してほしい」とどこかで思っていただけ。
それなら迷うふりをする時間は無駄だと思い、金曜日に研修で本社に行く予定があったので、そのまま退職願を提出しました。

最終出勤日は寂しすぎてずっと泣いてた

最終出勤日は寂しすぎてずっと泣いてたついに3月30日、最終出勤日です。
わたしがお世話になったのはたったの9カ月でしたが、本当に大好きな職場だったので寂しすぎてずっと泣いていました。
わたしの案件を引き継いでもらった方は、わたしがSEから離れることを知っていたのに最後まで色々教えてくださったし、ほかの方にもわたしが辞めて海外に行くことを伝えてからもずっと優しくしてもらいました。

あの現場からの異動さえなければ、わたしは今も会社員を続けていたのは間違いありません。
最後まで自分の案件を終えたかったのもあるけど、それ以上に日本にいる間は好きな人と働きたかったです。
新卒研修明けであの現場に入れたことは、わたしの短い社会人生活でも一番幸せなことだったと思います。

「もっと嫌な現場だったらこんなに寂しい思いをしなくて済んだのに」と何度思ったことか。
勤務地最寄駅の反対方面のホームに行く前に先輩とお別れしたタイミングでは、涙が止まらなくて本当に言いたいことが何も伝えられませんでした。

自分が目まぐるしく変化した1年

自分が目まぐるしく変化した1年2017年度は曲がりなりにも24年間生きてきた中でも群を抜いて、自分の考えや行動が大きく変わった1年でした。

漠然と「数年働いたらフリーランスになって、海外でスポーツライターをやる」ことは思い描いていました。
ですが、具体的にどうすればいいのかもわからないときに『フリーランス 海外』で検索して見つけたのが高田ゲンキさん(@Genki119 )。
そこから芋づる式でwasabiさん(@wasabi_nomadik)を見つけ、wasabiサロンに入ってメンバーと出会うことに。
既に海外にいるメンバーや日本でフリーランスをしているメンバー、自分と同じで会社員をしつつ海外フリーランスとして生活することを目標にするメンバー。
メンバーの数だけ目指すものやその経緯があり、すべてに刺激を受けました。

1年前は漠然と「こうだったらいいな」と考えていたことは、今では具体的な計画になっています。
こうしてフリーランスになったことも含め、実際に行動してステップアップできているのは一人じゃないから。
聞こえのいいことを言うのは嫌いですが、こればかりは本当だから言います。
一人で考えているだけだったらブログも名刺も作らなかったし、何より周りに同じ境遇の人がいないから「こんな考えを持つわたしが変なのかも」と諦めていたかもしれません。

大切なのはなりたい姿があるならそれを実現している人たちの周りに身を置くこと、リアルでそれができないならわたしのようにSNS上でもそういう環境を作ること。
「自分がなりたいと思っている姿を体現している人がたくさんいるから」
そう思えば今までは変かもと思っていたことも当たり前に思えたし、当たり前だと思っていたから行動に移せました。

2018年度、フリーランス1年目が始まって

2018年度、フリーランス1年目が始まってまだフリーランス1日目で、日曜日だから普段の土日と大差ない生活リズムで、正直あまり実感はありません。
でも、自分のことを”フリーランスになりたいと言いつつ具体的な行動に移せていない口だけ人間”だと思っていたので、ようやくレールを外すところまで実践できた安堵感はあります。
平日に満員電車に揺られて今まで通っていた駅に行かなくなって、今まではがっつりコードとにらめっこしていた昼間に街中を平然と歩くようになって、ようやく実感が湧いてくるのかな…?笑

しばらくは収入も社会人時代より減ると思いますが、今まで時間を割けなかったことにたくさん時間を使って、知識やスキルを蓄える期間を作ります。
昨年は「スポーツライター一本で食べていけるように」と思っていましたが、他のことも仕事レベルでできるようになりたいので、今まで以上に勉強の時間を取る予定です。
具体的にはプログラミングはもちろん、デザインや写真、動画制作はできるようになりたいと思います。
スポーツって文章より写真、写真より動画のほうが親和性が高いと思うし、わたし自身は文章を書きたいからライターを志したわけではありません。
なので、わたしがスポーツを通じてやりたいことを実現するための仕事として、ライターという形態にこだわるつもりもないです。
この辺はまた記事にします。

4月は試行錯誤ばかりで、成功すること以上に失敗することのほうが多くなるかもしれません。
ですが、仮に60歳で引退するとしてもまだ36年働く中で1カ月なので、収入に囚われすぎず、まずは自分の新しい仕事のリズムを作ることを考えたいと思います。

新卒入社した企業が副業禁止ということでENOKI名義、顔出しNGで活動していました。
ライターとしてはこれから実名を出していくことになると思うので、いずれ実名顔出しへシフトすると思います。
まだ4月は現状維持でいこうと思いますが。

これからも引き続きENOKIをよろしくお願いいたします!
それでは!

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