ENOSPO

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ENOKI’s BIO 1/4

ENOKI’s BIO

ENOKI'S BIO

0. ENOKIの3行プロフィール

PROFILE

  • 都内在住のスポーツライター
  • 2017年4月に新卒入社した会社を勤続1年で退社してフリーランスに
  • 2019年中に予定している海外移住に向けて準備中

1. 就学前

papacco
幼少期のわたしはパパっ子でした。

1993年の雷が鳴る日の午後、東京都の多摩地区で誕生。
本名は雷が止んだあとの空にちなんで、父に名付けてもらいました。
ちなみに”ENOKI”も本名由来です。

幼少期から”何かを作ること”が大好きでした。

わたしの家族は比較的仲が良く、(わたしと妹が成人した今でも)家族の誕生日が近い土日には誕生日パーティーをやります。
就学前は誰かの誕生日の度に誕生日パーティーのプログラムを作成したり、飾りを作ったりしていました。

性格の面で言えば、この頃から『自分がこうだと決めたことは絶対で、譲らない』というところは持ち合わせていました。
習い事の発表で役割分担をしないといけないときに、自分のやりたい役割を他の子から強奪したことも一度や二度ではなかったはず。
いま思えばただのわがままで、これに関してはわたしに完全に非があります…。笑

2.小学校入学 – 好きなこと楽しいこと –

watching
いつの写真かわからないけど、恐らく東京ディズニーシー。 今と顔が違う気がする。

幼稚園を卒園後、そのまま地元の小学校に入学します。

正しい時系列では幼稚園時代の話になりますが、わたしは絵の具から出したようなオレンジのランドセルが欲しいと駄々をこねまくりました。
RGB値で例えると(255, 177, 0)のイメージなので探してみてください。

わたしが小学校に入学した頃は、まだ『男の子は黒のランドセル、女の子は赤のランドセル』が常識の時代です。
紺やワインレッドのランドセルの同級生もいましたが、少数派でした。
今でこそカラフルなランドセルも多いですが、当時オレンジのランドセルは本当に珍しい上に値段もかなり高かったらしく、結局赤いランドセルを背負うことに。

わたしのもの作り好きが存分に発揮された最古の経験は、4年生の国語の授業がきっかけです。
6月ごろに『もし班のメンバーで1週間無人島に行ったら』という内容でリレー小説を書く国語の授業がありました。

ノートに小説を書いて仲のいい友達とノートを交換して読み合うことは3年生のときからやっていました(たまに漫画になったり)。
自分一人で書く小説と違って予測不能なパスに応えるリレー小説が楽しくて楽しくて、ほかの班員を巻き込んで自腹でノートを買い足してはクラスが解体される3月までのライフワークとなります。

最初は班員以外にクラスメイトや担任がゲスト登場するくらいでしたが、後半は班員4人が死なない限りはなんでもあり。笑
無人島に連れていかれたり、当時の大ヒット映画の主人公を登場させたり…。

このときの経験が”予想外のものが来たときにどう返すか、どう相手を驚かせるか”ということを考えるのが好きな原体験だったと思います。

3. 小学校高学年 – 暗黒時代到来!-

darkness小学校の後半は、まさに『暗黒時代』『人生の黒歴史』そのもの。

わたしは4年生のときにA子、B美、Cちゃんと4人でつるんで遊んでいました。
A子とB美はわたしが気に入らないことをするたびに”絶交”と言って仲間外れにしてきたんです。
Cちゃんは「4人でいるのがベストだけど友達歴が長い2人につく」というスタンス。

「2人が嫌がるようなことをするあなたが悪いんだよ」という声も聞こえてきそうですが、そのほとんどは理不尽すぎる理由でした。
A子とB美の秘密基地(※人があまり来ない公園の奥のスペース)を暴いたから、とか。
何が悪いかわからないけど、とりあえず謝って仲直りをしては絶交を繰り返す…というのを2年くらい続けました。
(今のわたしなら速攻で関係を終了するのですが…)

5年生のあるときに何回目かわからない絶交を告げられました。
今まで通りだったら謝っていたと思います。
ですが「わたしたちを取ったらENOKIには何も残らないもんね」というA子の言葉にブチ切れたわたしは、A子に宣戦布告しました。

そうすると、A子が他のクラスメイトに根回しをしていたようで、すぐにわたしはクラスで孤立しました。
クラス中からのシカト、A子たちに事実無根の噂を流されまくるなどなど…。
クラスが一緒になったことのない同級生からも避けられる始末。
知らない人にそんなことされたところでダメージはないんですけどね。

それでも不登校や保健室通いは一度もありませんでした、というか思い立ちもしませんでした。

わたしが辛い思いをするのがA子たちの喜び
→わたしが不登校になればA子たちは喜ぶ
→A子たちを喜ばせてたまるか!!!!

という反骨精神のもと、何をされても知らん顔で登校しました。
同時に、教室で起きていることを知らないわけがないのに何もしてくれない担任やクラスメイトなどに対する不信感が募り、家族以外に対して人間不信に。
友達がいないので外に遊びに行くこともなく、ストレスからおやつをドカ食いする日々が続いて謙遜抜きで激太りしました。
24歳の今でも人生で一番体重が重かったのはこの頃なので、誇張ではありません。笑
このときの人間不信を通じて、今でも自分の根幹にある「最後に信じられるのは自分だけ」という思いが形成されました。

インターネットが心の拠りどころだった当時。
家族共有のパソコンがあって、1日1時間だけ使っていいことになっていました(親の目を盗んでは長時間パソコンの前にいました)。
おもしろフラッシュなど、同級生たちの間で流行ったものにも手を出しましたが、一番の自分の居場所はお絵かき掲示板。
絵を投稿できて、サイトの仕様によってレイヤーが使えたり途中保存ができたりします(今も検索かけるといくつかヒットします)。

当時は某少女漫画誌を愛読していたので、好きな漫画家のファンサイトの掲示板に登場人物の女の子の絵を投稿しては他の投稿者と交流していました。
小6の後半には2000円くらいのペンタブレットを購入するなどお絵かき掲示板の世界にのめりこんで、現実逃避を続ける日々を送ります。

そのまま小学校を卒業し、わたしは地元の中学に進学するのでした。

 

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