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ENOKI’s BIO 3/4

ENOKI’s BIO

ENOKI'S BIO7.大学 – 世界が一気に開ける –

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ケルンで通っていた語学学校。2クラス合同授業のときの教室だから普段の教室より広い

進学先が決まり、大学から送られてきた入学準備の資料を眺めていたわたしは、ノリで第二外国語にドイツ語を選択しました。
”受験ハイ”の状態で、通常週2コマの第二外国語を週3コマ受講できるインテンシブコース(以下:インテ)を申請します。

インテのクラスメイトはそれはもういい人たちばかりで、小中学校時代の人間不信はどこに行ったというくらい遊びました。
ただ遊ぶだけではなく「ドイツ語もみんなで頑張ろう!」という雰囲気だったので、クラスメイト好きが功を奏してドイツ語に大学時代を捧げます。
先生方もいい人たちばかりで、在学中はとてもお世話になりました。

大学3年の夏休みに人生初めて海外に行きました。
行き先はドイツ・ケルン、目的は短期語学留学です。

そこでは世界がひっくり返るくらいの衝撃を受けました。
ドイツの人たちは当たり前レベルで英語ができること、日本での当たり前が当たり前じゃないこと、本当に色々な人がいて誰しもが自由に自己表現していたこと、などなど。
すべてが衝撃的過ぎて、1ヶ月じゃ足りないと何度思ったことか。
絶対にまたドイツに戻ることを誓って帰りました。

大学3年生の秋学期を終え、大きな挫折と人生の転機が待ち構えています。

8.就活 – 挫折と違和感 –

大学3年生の1月くらいから周囲に倣って就活を始めます。
すごく憧れていた企業があって「何が何でもそこへ行く!」という気持ちで説明会に足を運んだりその企業の情報を集めたり、準備を進めました。
ですがその企業は日本の就活で10本の指に入るような人気企業ということもあり、ESであっけなく散ります。

それ自体は想定の範囲内でしたが、そのあとwebテストも面接も通らない…。
売り手市場と言われていただけに、かなり焦りました。

やっと内定をもらって就活を終了するかどうかで悩んでいたころ、ある人にこんなことを言われました。
「あなたはスポーツ関係のことを仕事にするんだと思ってた」

実はドイツに行く少し前からスポーツライターを志して、某ライターのアシスタントのようなことを2年くらいやっていました。
ただ、スポーツライターで生計を立てることを考えたときに怖気づき、無意識に一般企業の就活を始めていたのです。

これを機に「あの企業で一生働くの?なんの楽しみもなく、仕事を通じてなりたい姿もないまま定年を迎えるの?」など、様々な疑問が頭をよぎりました。
大学生になっても将来の目標がなく、なんとなく就活をしていたのです。

最終的な結論は、「人生どうせ一度きりならやりたいことをやる!」。
でもこの時期には大手出版社の新卒採用が終わっていて、出版社のサラリーマンライターにはなれそうにありません。
かといっていきなりフリーランスになる勇気はない…。
色々悩んだ結果、解決策として辿り着いたのがSEでした。

スポーツライターで食べていけない間はSEとして食いつなげばいいんじゃない?と。
SEならPCさえあれば仕事ができるから、仕事が取材の邪魔になることはない。
さらに、取材したい競技の大きな大会がヨーロッパ開催であることが多く、世界中どこでも使えるスキルを手に入れられるということが非常に大きな魅力でした。
いま思えば、このときから海外在住スポーツライターという目標はできていたのかもしれません。

内定を辞退してSEに職種を切り替えて就活を始めると、今までのお祈りが嘘のようにするすると複数企業の内定がもらえました。
この時点で『スポーツライターとして独立するためのSE』というのは決まっていたので、新人の育成に定評のある企業を選んで就活を終えます。

 

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